「死なへん曲を作りたい」

 私が大好きな大切なひとが10年前に言った言葉。

 明日38歳になる彼は、去年だったか、「本気で生きるために遺書を書いた」と何万人もの観客の前で言った。

「俺が死んだら次のボーカルを探してくれ。俺が死ぬことくらいで、このバンドを終わらせない」

 すごくすごく、彼らしい言葉だった。

 

「一生このバンドを続けていく」

 彼らのその言葉を私はずっと信じていて、メンバーの誰かが死ぬか私が死ぬかどっちが早いかなと大学生くらいの頃から今でも思っている。自分が死ぬよりメンバーが死ぬことのほうが、それによってそのバンドがどうにかなってしまうことのほうが恐ろしかった。

「Live everyday as if it were the last day.」
 =「毎日を明日なきものとして生きろ」

 そう彼らに伝えられた言葉通り、私はバンドを応援していても、俳優、アイドルを応援していても、その対象が生身の人間である限り「死」というものを頭の片隅に置いて生きてきた。 

 生身の人間を応援するにはその覚悟がいる。

 距離的にもスケジュールやチケットの倍率を見ても気軽に会いに行けることはなく、簡単に想いを通じ合わせることもできない、そういう関係性だからこそ「いつ目の前からいなくなるかわからない」という覚悟は、常に必要だと思ってる。

 覚悟があっても悲しいことには変わりないけどね。

 

「これで大丈夫です。誰も迷わないです、僕が死んでも」

 遺書を書いたことをインタビュアーに尋ねられ、彼はそう言った。そのとき、昔彼が「死なへん曲を作りたい」と言った言葉を思い出した。

 自分が死んでも、バンドが生きていけるように、彼らを必要とする私たちが道に迷わないように、しるべを残してくれているらしい。

 そんな日来てほしくないけどなあ。。

 どこまで行ってもひとの命は有限で、永遠の命なんてない。

 でも、彼らが作った曲は死なない。

 それに彼らの歴史も、彼らの功績も、言葉も、永遠に残り続ける。

 ただ、いつも生きる力をくれる彼らの曲でも、そのときばかりは聴きながら悲しくて泣いてしまうかもしれないけれど。

 私の葬式では絶対に彼らの曲を流すと決めてる。

 っていうのをちゃんと家族に伝えておかないと流してもらえないことに最近気づいた。どこかに書き残しておかないとなぁ。。

 

 

 先日亡くなられた方のことを、私はよく知らない。

 グループ名はもちろん知っていたけれど、メンバーひとりひとりの名前までは知らなかった。

 ある日突然、自分のとても大切なひとが、そのひとがいるから今日も笑えた、幸せだった、頑張れた、そういう大切なひとがいなくなってしまうのはどれほどの悲しみなんだろう。

 自分には何ができたんだろう、何もできなかったんだろうかって、きっと考えてしまうよね。本当にたくさんの素敵な思い出をくれていたはずだから。

 想像しただけで涙が出る。
 悲しいとか、つらいとか、そんな言葉で言い表せるのかどうかもわからない。

 ただただ、やるせない。

 

  

君がいなくても明日生きていけることなんて
今はまだ知りたくない
優しい嘘には気づかず 生きていたい
信じていたいものを 信じていたい
また会おうねって言った約束も
次会えるその日まで 信じてたい

 

 会いに行きたいひとがいること、そのひとに会いに行けること、それだけで、すごくすごく幸せなことなんだなぁ。。